年の頃は60代後半。160センチもない背丈で、狸の置物みたいな腹が突き出ている。だが、他人の目を引くのは腹ではない。頭だ。 その歳になれば髪は薄くなり白くなるのが普通なのに、まばらな髪をきっちり黒く染め、まだ足りずに地肌も黒く染めている。遠くから見れば、「えろう若おまんな」だが、間近で見ると「えろうブサイクでんな」である。どれだけ若く見せたいのか知らないが、たいてい他人は「そこまでせんでも」と思っている。アバタだらけの黒い顔に太鼓腹。おまけに背が低い。とうに還暦を過ぎた年齢である。何かほかにやりようがあるだろうに、と親切心で思う。 帰りの電車でちょくちょく会う。白ワイシャツに濃い色のスラックス、黒かばん持ちだから勤め人であろう。奥さんや娘は「父さん、その頭やめてくれへん。友だちに笑われるから」と言わないのだろうか。本人の周りに「やめたほうがいいで」と言ってくれる人はいないのだろうか。 なんだか、書けば書くほど孤独な人生が浮かび上がる。生涯独身で唯一の心のよりどころは近所の安スナック。同い年ぐらいのママに酒焼けしたガラガラ声で「あら、トミさん、いらっしゃい。まあ座り。久しぶりやん」と迎えられる。
「アホ、おととい来たばかりやがな」
「一日空いたら、久しぶりや」
「よう言うわ」
「最初はビールでええか」
「そうやな、今日はキリンの瓶で」
「あら、珍しい。アサヒしか飲めへんのとちゃうの」
「たまにはな」
「なんか心境の変化でもあったんかいな。いい女でもできたんちゃうの。この色男」
「そんなん、あるかいな。ないない」
「そうか、あるわけないわね」
「アホ、俺でも長い人生いろいろあるがな」
「あそう、ほなそうしとこうか」 とまあ、こんな調子で夜はふけていくのであった。
案外、いい人生を送っているのかもしれない。